おわわのレビュー

ギターのことや日々のことを綴っています

モニターとスピーカーと会話のない食事。たまにしてみるといいかも

今朝、朝マックを食べたくなったのでマックを訪れた。
いつものようにスマホを取り出し、モバイルオーダーをしようとした。が、
充電がゼロだった。
完全に忘れていた。とはいえ車で充電するのにも時間がかかるし、モバイルバッテリーもない。
さっさと食って帰ろうと思い、そのままカウンターで注文をした。

席につくといつも見ていたスマホを出さず、朝マックセットを黙々と食べる。
ここ数年そんな食事をしていないなとふと感じた。
高校生までは家族との会話、デレビをみながら食事をしていた。
親元を離れても、パソコンやスマホを欠かさず見ながら食事をとった記憶しかない。
久しく、このような食事をした。

社会人になり、食事の時間はいつのまにか、情報を吸収したり遊んだりする時間になっていた。
人によっては食事中も作業や仕事をしている場合もあるだろう。
多忙。会社員なら限られた休憩時間でできることは限られている。
短い時間のなかで、食事「だけ」を摂るのは、現代で言うコスパの悪い行動なのかもしれない。

いつしか、SNSやニュースから新しい情報を仕入れることが最優先になっていた。
自分を思考するという機会が私には失われていたのである。

自己を振り返る機会というのは意外とない。なぜなら自己を振り返る力が今の社会は優先されていないからだ。
仕事はそれに適応するかどうかであるし、人とのコミュニケーションも情報を持つことが大事だ。
自分が何者かというよりは、社会にとって何者かという側面が圧倒的である。
その結果が食事中の他行動に現れていると推察している。

それでマックでの無の食事だが、案外悪くない。
人間とは不思議なもので、ないならないで他のことができるものだ。
私はプチ瞑想のような、思考をかけめぐらすことをした。
新しい情報などはもちろんない、ただ自分がなにを考えてるということに気づけたのはいい気分だ。

自分とはどこにあるのだろうか。悩んでいる方は食事の時になにもしないことをしてみよう。
自宅だとどうしても色々な情報が目に入ってしまうので、飲食店、特にサッと食べられるようなお店がおすすめだ。
私は少し継続してやってみる。