おわわのレビュー

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カウンセリングを受けてよかった話

メンタルクリニック、いってますか?
2023年4月から約半年カウンセリングを受けた感想をお伝えします。
結果からいうと、受けてよかったと感じています。

カウンセリングは相談のコミュニケーションではない

カウンセリングを始める際に最も悩んでいることはこれでした。

 

「相談なんて専門もクソもないだろう」

 

障がいを持つ方を除けば、相談できる人が全くのゼロという方はかなり稀有です。家族・友達・会社のひと・なにかのコミュニティのひと、喋ることができる人はいます。相談する意欲が湧かない、のでなく物理的に接触できる人は必ずいるはずです。

メンタル疾患になる前も多くの相談をしてきたかと思います。それが良きであれ悪きであれ、相談というものの価値をそれぞれ個人は認識しています。

ということは、相談は誰にできる安いものなのです。カウンセラーの価値が低いのではなく、人間にとって相談の価値というのは低いものだと私は思っています。報連相という言葉がある通り、相談とは日常であり専門的な昇華ができるものではないというバイアスを持っていました。

私の場合、このバイアスを通す結果はひとつであり

「誰に相談したって一緒」

この思考は認知を歪ませ、ときに健全な活動を阻害します。

 

もう少し深掘りすると、この「一緒」という言葉は根深いものです。自分の意見がなく最終的に相談した相手の結果になる。これを一緒と定義しており、自己の認知を段々と歪ませていきます。

それでは具体的にどのようなカウンセリングを行っているのか、私のカウンセラーとの会話の一部を抜粋します。

私「会社での仕事がうまくいきません。自分の中では精一杯やっていますが、どうしても抜けたりして追いつかず迷惑をかけています」

 

さて、皆さんならこのような相談を受けたときどう返すでしょうか。よくあるのはこのようなパターンでしょう

「うんうん。きついか~業務量が多いんかな?効率的にやるって言っても限界あるよね~上司に相談したりはできそうなん?あ~きちいか~。工夫したり、リフレッシュしたりでやっていけそうかな?まぁ~無理なら他の道もあるべ!」

という回答を思いつくのではないのでしょうか。

細かい伝え方や内容はともかく、大筋は「その仕事をどう乗り切るか?」というターゲットで話すと思います。

 

対して私のカウンセラーはそうではありません

「具体的にどのような場面をきついと感じますか?(例:クレーム対応がきつい)どのような言葉や態度をとられたらつらいですか?その言動を受けたとき自分の体の異変を感じていますか?それはどこの部分でどういった症状ですか?」

など。どういう認知をしているかを尋ねれます。

最初は思いましたよ「それ解決にならんのだが?」いや実際そうなんですよね。

 

カウンセリングを受けてもその問題は解決しません。

 

じゃあカウンセリングなんて意味ないじゃん!!!
わかります。

繰り返しますがカウンセリングを受けても問題は解決しません。
仕事が効率化されるwebシステムが導入されるわけでもないし。対人関係を良くする催眠方法が習得できるわけでもなく。AI時代に備えた財テク方法が身につくこともありません。
冷静に考えてください。心理士はプロコンサルタントではありません。
そしたらば、彼らはなにをしているか。それは認知というものを知ってもらうことが大きな使命のように感じています。

 

認知はメンタル疾患の回復に最も役立つものです。あまり医療素人が書くとよくないので、詳細は省略しますが、私はこの認知を知ることによって自分の人生をどうしようか見つめ直すことができました。

(私のカウンセラーの場合)カウンセリングはエステじゃない

カウンセリングは受ければよくなるものではありません。受けて、どうするか?それは自分で動かねばなりません。ここでの動くは、身体を動かすのではなく自分で思考をするということです。

メンタル疾患で動けない気持ちはわかります。しかし頭が動く余裕があればカウンセリングを受ける価値はあります。自分の今の認知を洗い出し、どう組み立てるのかが重要です。この時前進しなくてもいいです。日々成長!みたいな人生観はすてて、自分とはなにかを掘り出しましょう。

どんな病気もそう、自分が治したい気持ちが肝だ。治療の主役はカウンセラーでなく、自分なのである。

なんか無理ならやめろ!無理に続ける必要はない!

カウンセリングを受けて効果があるかは行かないとわかりません。行って無理ならやめよう。初回でやめてもいい。とりあえず興味があるなら主治医に相談だ!